遅咲きの偉人に学ぶ「人は何歳からでも挑戦できる!」ということ
世の中には早くから才能が開花する人と、晩年になって花開く人がいますよね。それぞれまったく違う人生を歩んでいるものです。子供の頃は天才だったのに、大人になってみたらただの人だったり…、そんな人が周りにいた経験は、誰もがあるのではないでしょうか?逆に子どもの頃はまったく目立たなかったけど、大人になって急に頭角を現す人もいます。人によって歩むスピードは違うからこそ、人生は面白いと言えるのかもしれませんね。いろんなタイプがいる中でも、遅咲きの人というのは特に魅力的に映ったりしませんか?彼らは世の中に認められるまでに、一体どのような苦労を重ねてきたのでしょうか?そこで今回は、遅咲きの偉人を5人ピックアップしてご紹介したいと思います。あなたに勇気を与え、明日を生きるヒントが見つかると思うので、ぜひご一読くださいね♪
天才は「早熟タイプ」と「遅咲きタイプ」が存在する
世の中には天才と言われる人がいて、さまざまな分野で圧倒的な力を発揮していたりします。一口に天才と言ってもいろんなタイプがいて、簡単にひとくくりにすることはできません。
・幼いころから英才教育を受けてきた天才
・何の努力もしていないのになぜかうまくいってしまう天才
・回り道を重ねてきた中で自分の才能に気付いて磨き上げてきた天才
人生の歩みは人それぞれで、悩んだり落ち込んだり、さまざまな紆余曲折がありますよね。天才と言われる人たちもまた、人知れず苦しんでいたりするのですよ。
天才と言われる人たちを大きく2つに分けて考えると、早熟タイプと遅咲きタイプが存在しています。早熟タイプと言われるのは、スポーツの世界などで頻繁に見られます。子供のころは天才スポーツ少年だったのに、大人になると一般企業のサラリーマン、みたいなパターンは割とよくあります。
また、将棋の世界では、早熟の天才があとから失速するパターンはあまりありません。若いうちから頭角を現して、大人になってからもずっと活躍し続けます。
・加藤一二三
・谷川浩司
・羽生善治
・藤井聡太
彼らは若いころからものすごい活躍をして、大人になっても第一線で走り続けます。天才とか早熟と言ったことは、分野によって違いがあるのかもしれませんね。
早熟型は苦労を知らない?晩成型は苦労人?
早熟型というのは若いうちに成功を収めて、早くから注目を集めます。そのため、調子に乗ってしまったり、天狗になってしまうのは、仕方がないのかもしれません。若いうちに成功した人は、一方で嫉妬や羨望の眼差しなど、さまざまな苦労もあります。社会経験のないまま有名になれば、いろいろと面倒なことも多いようです。
一方、晩成型は世の中の荒波に揉まれながら、なんとか上を目指して模索します。紆余曲折を経てさまざまな苦労を重ねた上で、最終的に成功を収めるのです。晩成型はそうした背景があるからこそ、ものすごく魅力を感じたりするのかもしれません。
【遅咲きの偉人】5人のエピソード
お待たせいたしました、ここからは遅咲きの偉人5人のエピソードを見ていきたいと思います。彼らの生き方や考え方などに触れることで、生きるヒントが発見できるかもしれませんよ♪
①カーネルサンダース
あの有名なカーネルサンダースが『ケンタッキー・フライドチキン』を創業したのは、なんと65歳のとき。日本の会社で言うと、定年後の再雇用が終わり、引退をしてまさにこれから老後を過ごす…、という時期のことなので、驚きですよね!人生の終盤を迎える頃に、会社を立ち上げて軌道に載せようと奮闘していくのです。過去にこんなにもすごい人がいたと思うと、遅すぎるなんてことはない、と改めて実感しませんか?
実は、カーネルサンダースは失敗の連続でした。飛び込み営業で1009回の交渉をして、すべて断られたというエピソードもあるのです。それでも失敗をマイナスに考えず、前向きにトライしているというのが本当にすごい!やりたいことは年齢とか一切関係ない、何とか知恵とアイデアを絞り出して、やがて成功へと導いていく姿に魅せられてしまいます。フライドチキンに賭ける執念、すさまじいチャレンジ精神ですね!
②夏目漱石
夏目漱石が初めて小説を書いたのは、38歳のとき。みなさんもご存知の『吾輩は猫である』です。小説家としては遅すぎるデビューですが、風変わりの設定がやがて人気を呼ぶようになっていきます。その後、朝日新聞社に入社して、さまざまな連載小説を発表し、たちまち小説家としての地位を確立していきました。小説を執筆しながら大学の教壇にも立ち、英語教師としても活躍していくことになるのです。夏目漱石が翻訳した以下の一節はあまりに有名です。
「I love you.(月が綺麗ですね)」
弟子に対して適当に言い放った言葉と言われていますが、これが後世にまで伝わっています。日本人の奥ゆかしさ、はっきりと言わない美徳のようなものを、うまく言い表した素敵なエピソードです。日本人の心情を、これほど的確に捉えた表現は、なかなかないのではないでしょうか?
③伊能忠敬
伊能忠敬は自らの足で全国を歩き、日本地図を作成した人として知られています。伊能忠敬が本格的に測量の勉強を始めたのは、なんと50歳になってからです。あまりに遅すぎるスタートに思えますが、一歩ずつ着実にクリアしていきます。やがて日本地図を完成させて、世界にもその技術の高さを示すことになるのです。
50歳から始めたというあたりに、並々ならぬ情熱を感じます。いつまでも若い気持ちでチャレンジしていくというのは、すごく刺激を受けるエピソードです。周りに何と言われようが、“やらずにはいられなかった”のかな?と勝手に想像してしまいます。
④ドストエフスキー
ドストエフスキーを遅咲きの人と言うには、かなり乱暴に映るのかもしれません。遅咲きとして選んだ理由としては、もっとも偉大な作品が生まれたのが最晩年で、ピークが遅いという意味で挙げてみました!
ロシアの文豪ドストエフスキーは、最晩年に世界文学における大傑作を残しました。最高傑作『カラマーゾフの兄弟』が完成したのは、死のわずか80日前だったと言われています。ピークが最後にやってくるというのは、ある意味で本望と言えるのではないでしょうか?普通は年齢を重ねていくにつれて衰えが来るものですが、最後まで突き抜けていくというのは、とても素晴らしいことだと思います。ドストエフスキーにとっては、才能が枯れるといったことは無縁だったのかもしれません。世界文学史上に燦然と輝く『カラマーゾフの兄弟』何度読んでも魅了される作品です。
⑤安藤百福
安藤百福さんは、カップヌードルやチキンラーメンを発明した人として知られています。初めてインスタントラーメンを発明したのは、48歳のときです。自宅の敷地内に小屋を作り、インスタントラーメンを作り込んでいました。あさま山荘事件のテレビ中継によって有名になったのは、広く知られています。世の中に出るタイミングというのは人それぞれで、何がきっかけになるかは本当に分からないものだなというのを改めて思い知らされるエピソードです!
まとめ
挑戦するのに決して遅いなんてことはない!
いかがでしたでしょうか?人が才能を開花する瞬間というのは、それぞれ違ったタイミングで訪れます。尊敬できる人との出会いだったり、誰かに誘われて始めてみたことだったり…。きっかけはどこにあるのか、誰にも分からないものです。遅咲きタイプの人というのは、それを見つけるのが遅かっただけ、なのかもしれません。ただ、決してあきらめることなく、苦労を苦労だとも思わず、ただひたすらに成功の糸口を模索し続けていたのです。端から見れば、とてつもなく大変な経験をしていたりするのですが、それをむしろ楽しんでいるようにすら感じさせます。こういった生き方に触れていると、自分の人生にも希望が持てるような気がしませんか?人は何歳からでもバッターボックスに立って、新しいチャレンジができます。そう、人生において、挑戦するのに決して遅いなんてことはないのです!